まごころを尽くすとは
おはようございます
今日は終戦記念日ですね。戦後72年目を
迎えました。
僕の両親が戦前生まれということもあり、遠い遠い昔の話・・・・・・
とは決して思えません。
小学1年生の時、先生が「かわいそうなぞう」を
涙ながらに朗読して聞かせてくれたのが、未だ印象に残っています。
諸説あるようですが
今その本を、やっぱり僕も涙なくては読めれないだろうなぁ・・・・・
さて
以前、何かの記事で読んだのですが
アメリカのルーズベルト前大統領は、
1分間の演説をするのに、1時間かけて原稿を作ったといいます。
大統領になったとき、新聞係秘書官から
「明日の歓迎会で演説してもらいたいと主催者から頼まれました」と言われ
「今からまだ20時間あるから、15分くらいならやれる」
と、答えたそうです。
要は、5時間を休養に取るとして
15時間かければ15分くらいの話ならできる、という意味。
その記事の筆者が言わんとすることは、
「これだけ時間をかけて準備をするということが、まごころなのであろう」
ということでした。(文章割愛しています)
大統領になるほどの立派な人物であれば、
そんなに時間をかけなくても話すネタはいくらでもありそうなものですが
1度の演説に、そこまでの努力をする。
筆者流に言い換えれば、「まごころ」を尽くす。
「まごころを尽くす・・・・・」
どうすることが「まごころを尽くす」ことになるのだろうかと
考えてしまうことがありましたが
「(きめられた話には)それなりの準備をして、苦労をするということが誠意になる」
という筆者の言葉に、説得力を感じました。
そして、自分がいかに手抜きをしていたかを思い知らされました
「まごころを尽くす気持ちはあるんだ!」というだけではダメなんですね。
それに伴う準備をしなければ、相手には伝わらないということでしょう。
僕も「まごころを尽くせる人」にれるよう、努力していきたいものです
(よろしければ「言葉を尽くす努力」も併せてお読みください)